堀内長玄覚書(第十二集)八十一番八十二番八十三番

堀内長玄覚書第八十一番
今般、お殿様が我々村役を呼び出されたのは、三百両余りのお金が緊急に必要になった事によります。
これは、近頃、お殿様の勝手向きの世話を上総の国の笠井玄番という方がしてくれいましたが(注 明確には書かれていませんが笠井玄番から三百三十両の借金があり、その返済が差し迫った様です)川元半平(多賀氏の家来と思われる)と同行し、庄屋の
助七郎、年寄新兵衛(長玄さん)、九兵衛が笠井玄番のところへ行き、先方と色々相談をするように、と仰せつけられました。
そこで、笠井へ行きましたが、この道筋に御公義の鷹野場が有り、鶴、がん、かも、などが夥しくおり、手取りでも出来そうな有様でした。途中、小さな川があり、そこの所は舟に乗って行きましたが、南西方向に富士山が見えました。
玄番の所で一夜の宿を借りました。この玄番はこの地方の郷士のようで大百姓と見えました。御用金の件につき川元氏から我々に話があり、明日、江戸に戻り曽我の村役と曽我村で三百三十両の決済をするべく相談する、となりました。
結局、村方でその借金を肩代わりし、当申の年から酉戌の三年の毎年、年貢時に村に返済との事になりました。
曽我に帰り、村の皆様方と相談をいたしましたところ、百姓衆が申されることに、上記のお金は江戸の御屋敷で急用とのことで、ならば各々分担し、至急に用意すべし、とのことになりました。
そこで、庄屋・年寄から多い目にお金を出し、比較的金持ちの家から少しづつ出し、もし年貢時に返済が無ければ、何年かかっても返済する旨の証文を村方に取り置きました。
しかるに、百三十両は年貢時に決済されましたが、残る二百両は今にいたるまで未決済で、毎年の村算用出しております。

堀内長玄覚書第八十二番
上記、江戸出張時、江戸の御屋敷にて、我々三人に、お殿様からお料理の接待を受け
そのうえ、御はかまを頂戴し、有難き幸せな事でございます。

堀内長玄覚書第八十三番
上記、江戸出張の際に、公方様の鷹狩りがあり、我々よそ者は江戸かわらけ町に大和屋武助表に生鳥屋があり、この庭から、ありありと公方様を拝しました。
昼四つ時分でしたが、お供に大名衆二頭(馬に乗っておられたか?)御はた本衆は数知れず、其の外のお役人衆の方々は御約束木綿物にて、御もも引きや、半わらじを召し、
夥しきことは筆にも尽くされません。
公方様は乗物に乗られ、その時は御はおりは、そらいろに白がたを御召しと見えました。御還御は七つ時分で、この生鳥屋の前で少し御乗物が止まり、生鳥を少しの間ご照覧あそばされました。この時、私共、ありありと拝し奉りました。
これより、お役人衆が今日の獲物の、ごいさぎ、ばん、かも等を色々青竹に飾り、
武人づつ夥しくおられ、その有様は筆にも尽くされません。
その時の私の思いは、かようなる大切な事は、盲亀の浮木と申すようなる稀有な事と有難く拝しました。
※注 長玄さん、出張先で時の将軍の鷹狩りに出会った時の感激を伝えてます。現在で言えば、たまたま旅行先で天皇陛下の巡幸に出会って、親しく陛下を見た、と言う感じです。ちうなみにこの時の将軍は第九代、徳川家重です。