7月21日に光岩院にて、井上総代・前田寿会会長をはじめ、多数の参列者のもと、光岩院住職の導師で地蔵菩薩の開眼供養が執り行われました。
町内には色々な場所で地蔵菩薩が祀られていますが、特に代表的な祠は雀堂橋の少し北側の堤防付近にあり、長年寿会の手で供養されてきました。
今般、その祠の場所が京奈和自動車道の工事に際し影響があるとのことで、移転が検討されてきましたが、光岩院に新たに地蔵菩薩立像が建立され、それに合祀の運びとなりました。
前述のように、町内には色々な場所に地蔵菩薩が祀られており、地域の方々の手で供養されてきていますが、少子高齢化に伴い、それらの祀りも段々と難しくなってきています。
井上総代のお話では、そういった地蔵菩薩も今後は場合によっては、ここに合祀されれば、とのことです。
カテゴリーアーカイブ: トピックス
曽我を知る会が開催されました。
令和元年10月6日(日)陣屋会館で、歴史学者で、蘇我氏に関する多数の著作を出されている元龍谷大学教授の平林章仁(ひらばやし あきひと)先生をお招きして、蘇我を知る会が、自治会・青年会の共同で開催されました。
先生からは、蘇我氏について、特にあまり知られていない蘇我稲目以前の蘇我氏とその時代背景等について興味深いお話があり、その後、色々な質疑応答、また当日ナビゲーターを務められました藪内さんから曽我についての色々な紹介、例えば小田原市にも曽我神社がありその祭神は宗我坐宗我都比古神社から遷宮されたとか、曽我遺跡から出土した玉類についての話し等があり大変興味深い一日となりました。
当日は森下市長も来賓として来場されました。
また、平林先生の著書の販売等も行われました。
雀堂橋の地蔵堂で法要が行われました
8月26日(日)午前8時から雀堂橋の地蔵堂で、光岩院の住職を導師として、法要が行われました。
これは毎年8月24日に地蔵盆のお祭りとして行われていますが、今年は台風の影響で26日に実施されました。
この地蔵堂は昭和14年に曽我川の川攫えの際に出てきた石地蔵を祭ったのが始まりとされています。
ただ、今のサッカー場の辺りは字名が地蔵前と言い、江戸時代にそこで狼を捕まえた、という古い記述もあり、その辺りには古くからお地蔵さんを祭っていたと推測されます。
この地蔵堂は今では寿会が中心となって維持管理に努めておられます。
機会があれば、皆様も、家内安全・交通安全・水難防止・児童安全 等の願いを込めてお参りされることをお勧めいたします。
今度はハクビシンが捕獲されました
アライグマが捕獲されました
10月22日曽我川の増水について
10月22日、大雨による増水で曽我川の水位が氾濫危険水位にまで達しました。
原因は、台風21号と秋雨全の影響で、15日以降、雨が降り続いたことによります。
豊津橋付近に設置されている水位計が4mを超え、曽我川の遊水地を兼ねている緑地公園内に大量の水が流入しました。
緑地公園は十数年前に曽我川の治水目的も兼ね造成されましたが、そこへの水の流入は初めてのことです。
流入は21時頃、水位計の水位が3.9mに達した頃から始まったと見られます。
水位は
20時に3.7m
21時に3.9m
22時に4.0m
23時に4.0m
24時に4.0m
01時に3.6m
02時に3.0m
と推移しています。
20時30分に3.8mに達しましたがその時点では流入はまだ始まっていません。
21時30分には4mに達していましたが、その時点では滔々と水が流入していました。
流入は21:30から0:30頃まで約3時間続いたと考えられます。
緑地公園内は最大で23.2000立米貯水できますが、当日は約27.000立米の流入があったと推測されます。
降雨の具合がそのままの状態であれば後約20時間は氾濫を回避できたと考えられます。
ところで、曽我町と曲川町の間に坊城川と呼ばれている水路があります。
これと西新町にある水路は最終的に緑地公園付近で曽我川に接続されていますが、曽我川の水位が上昇すれば
逆流する可能性が大きいので、水門は閉められます。
その結果、そお水路からあふれた水の影響で西新町では道路が冠水状態になったところがあります。
また、光専寺から東側の東二丁目でも冠水状態が見られました。
緑地公園南側の曲川大橋から西に延びる道路やその左右の田は冠水状態でした。
当日は18:53に市から避難準備・高齢者避難開始情報が伝達されました。
自治会でもそれを受け、緊急放送およびホームページからの緊急メールを発信しました。
避難場所になった真菅地区公民館には26人の方々の避難がありました。