堀内長玄覚書(最終集)第二百九十一番

堀内長玄覚書第二百九十一番
明和八年四月末頃より伊勢大抜け参りが始まりました。これは天皇の即位(後桃園天皇)の日にちが定まった事などにより何処からともなく抜け参りが段々と出現しだしました。五月の一日頃になると、京都・大阪より、夥しく人々が出、かか達は子供を負い、前掛けをしながら参り、親父共は鍬を担ぎながら参る人も有りました。六十年以前にもこの様な事が有り今年、大坂を出た人は何十万人とも筆に尽くされぬ有様です。この街道(曽我の伊勢街道)へも何万人とも知れぬ人が通り、街道筋に接待場を設け、村々より米・麦・柴・薪などを持ち出し、曽我の東口、今井の柳原にも接待場が出来、俵物などは百斗も集まり、御馳走駕籠、御馳走馬(駕籠や馬などを無償提供したと思われる)なども夥しく出ました。
当村も西口寺前(光岩院の前か?)に接待場が有り、私共も、茶やはったい粉などを出しましたが、その他の村々からも色々な物を夥しく持ち寄り、その有様は筆にも尽くされません。
※注 世に名高い伊勢の抜け参りの様子です。当時の人々の有り様が良く分かります。