堀内長玄覚書(第三十六集)二百二十九番二百三十番

堀内長玄覚書第二百二十九番
明和五年子の年、江戸で謀反人が出ました。この人は大弐(山形大弐、江戸時代の儒者で思想家)と申す剣術指南で先年の由井正雪、丸橋忠弥に勝る人との事です。有難くも御公義様の御威光にて取り納められました。諸人、有難く思った事です。
※注 世上名高い由比正雪の乱や山形大弐の事件など江戸で起こった事が、赤穂浪士  の件もそうですが、結構こちらにも伝わってきています。

堀内長玄覚書第二百三十番
明和五年子の極月、前に述べた庄田氏が下市に帰られました。是までは浪人で、あちこちに住まいされていましたが、この度、お殿様が当村に入部された折、二百石の格式で郡代にお召し抱えになられました。下市に帰られる際、駕籠に乗られ、挟み箱に槍持ち中間、そのほか足軽に草履取りなど十人ばかり従え下市町に帰られました。それより三日の逗留の後、極月二十二日に当陣屋にお戻りされました。
※ 多賀氏の領地を治める郡代(代官)は多賀氏の家来と思われがちですが、実際は下市の浪人の庄田氏が世襲の様に召し抱えられています。時には川原惣右衛門の様な
渡り役人を召し抱えた様な事もありました。