粗大ゴミ収集日

明日3月29日は 粗大ゴミ・環境ゴミの収集日です。

本日は18時から20時まで、明日は7時から8時30分までに

陣屋会館前にご持参ください。

尚、ゴミを持ち込む際は 自治会員証をご提示の上 時間厳守でお願い致します。

金属入りのソファーやマットレス、硝子付き家具類などは分別してお出しください。

収集出来ない禁止品の持ち込みは 厳禁です。

ご理解とご協力のほど よろしくお願い致します。

堀内長玄覚書(第三十三集)二百十九番

堀内長玄覚書第二百十九番
明和五年(1768年)子の七月中旬に、当村へ備後の国、安部伊予の守様の百姓の十四歳になる娘がお伊勢参りに行く途中に連れ人から離れ、その上病気なって弱々しい状態でやってきました。そこで、当村から送ってやろうと、色々と世話をいたしましたが、段々と弱ってきました。当村の医者の安戈が色々と療治いたしましたが、段々病気が重くなり、ついに病死いたしました。
そこで、大坂の安部伊予の守様の御蔵屋敷に届けを出しましたところ、当村にお役人が一人来られて、当地にて後処理をお願いしたいとの事でございます。
そこで、南都の御番所に届けを出し、当村の光岩院にて土葬いたしました。
その後、大坂蔵屋敷から役人一人が来られ、光岩院と庄屋助七郎と年寄新兵衛と同じく半兵衛に金子百匹づつ、御礼として差し出されました。
この様な事はこれまで無かった事なので、江戸のお殿様に報告すべきと思い、当方の役人の渡辺友右衛門様に申し上げたところ、この様な事の報告は無用との事でした。なお、村方の者が貰った金子は村算用に繰り入れました。
※注 氏素性の分かっている他国の者が行き倒れた場合、どの様に処置したのか、色々と良く分かる記録です。こう言ったことは歴史書や教科書にはなかなか載っていない貴重な記録です。

堀内長玄覚書(第三十二集)二百十六番、二百十七番

堀内長玄覚書第二百十六番
明和五年子の八月上旬、当村の井上長兵衛殿が江戸のお殿様より、役儀を召し上げられ平百姓に落とされました。この井上長兵衛殿と江戸のお役人との間でお役目の入れ替えが有り、井上殿は入れ替わりの上京をされましたが、そのまま帰村されませんでした。大変気の毒な事と思いましたが、お殿様が後に当村に入部された折、またお役目に復帰なされました。
※注 何らかの理由で武士階級の者が身分を百姓に落とされる、といった事が有った様です。

堀内長玄覚書第二百十七番
同年八月十五日に江戸から御用状が来ました。これは近々お殿様が領地へ入部されるに当たり、御陣屋の坪数と畳数・間数が何程、げつあん(料亭の屋号か?)、光岩院、
堀内新兵衛、畳数・間数が何程、等々委細を相違なく差し出す様にとの事でございます。この時節柄、お殿様の借金も手詰まりの時節柄、気の毒とは思いますが、昔よりこの方、この様な事は聞いたことが無く、またまた物入りな事と百姓方は案じ暮らしました。
※注 お殿様のお国入りに際し、供廻りを含め宿泊場所確保のための調査かと思われます。ただ、その接待は百姓方の負担となり、また幾ばくかの小遣い銭も用意したようでなかなかの物入りだったようです。今回、長いので翻訳は省きますが、お殿様入部の際に、伊勢屋道寿老に、長年色々と寄進したことに対し、お殿様から羽織を賜っていますが、そのお礼に何両かのお金を包んだところ、この様なはした金を差し出しおって、とお殿様が大層立腹した場面があります。この節、要は何かに付け金品の要求があった様です。

堀内長玄覚書(第三十一集)二百二番、二百十三番

堀内長玄覚書第二百二番
明和五年(1768年)子の正月二十七日に郡代の川原惣右衛門様と添役人の井上長兵衛様が当村の庄屋年寄惣代其の外、裕福な人々を残らず呼び出され、今年より村方の諸事を改め、ついては庄屋の北林助七良は病気故、息子の助五郎に役目を継がせ、年寄、
半兵衛と村役を勤め、そのほか丁支配人は八人で勤め、東丁は清八と新治郎、西丁は小兵衛と平兵衛、いぬい新町は金六と市兵衛、曽我と新地は孫七と喜三良と四丁に分かれ二人づつで毎月の江戸の月賄銀を取り集め世話するよう、また何事に寄らず村役人に相談するようにと申され、皆々承知をいたしました。
是より、庄屋年寄三人と井上長兵衛様が会所にて相談いたされ、当年より村方は倹約のため会所にて酒肴を会食することは、無く銘々自分の家で食べること、また是より町支配人は一人に付き米一石づつ、年寄は米二石づつ村より給付になりました。
※注 この頃より曽我町の区分は今風に言えば、東町・西町・北町・出屋敷および出屋敷新町に分かれ運営されるようになっています。
また諸事倹約のため、今風に言えば自治会のの定例会のあと食事が出ていたがそれも中止になり、役員手当も減額となった、と言う風な事が行われています。

堀内長玄覚書第二百十三集
明和五年四月十五日より雨天が続き百姓方非常に困っていました。
十五六日頃は少々天気が良かったので諸方、菜種の刈り干しをし、私の所でも菜種を一町分ばかり刈り干ししましたが、その後、雨が降り続き、麦も菜種もだいぶ腐らし綿も出来が悪く、六月五日の土用入りにようやく綿に肥料をやりましたが、時期が遅く、さてさて難儀な状態となりました。
ところが、五月晦日から今度は晴天続きで七月九日になって漸く雨が降り、六月の
一か月は照りこし、畑作は日やけ状態となり、稲作は大変良く、一反当たり二石から二石四五斗も取れましたが、綿作は一反当たり、六七十斤から八九十斤の出来でした。
※注 長玄さん菜種だけで一町以上も畑を持っており、そのほか綿作・稲作等、かなりの素封家です。

防災会役員会の開催について

曽我町防災会よりお知らせいたします。

本日3月4日 午後7時より陣屋会館にて、曽我町防災会役員会を開催いたします。

尚、今回は新型コロナウイルス感染防止の為、密にならないように

各町1名の防災委員の出席をお願いいたします。

 

全国一斉に春の火災予防運動実施(3/1~3/7)

消防署からのお知らせです。
本日3月1日から3月7日まで全国一斉に春の火災予防運動が実施されます。
この時季は寒さも和らぎ火を扱う機会も少なくなりますが、暖房器具やコンロの消し忘れには十分注意し、火を使うときは、その場を離れないようにしましょう。
また、火災を起こさないため、火の元には家族みんなで気をつけましょう。